2012年7月8日礼拝
説教「 天一国創建に貢献しよう 」説教者: 石尾 豪志教会長
み言訓読「新約聖書」 ヨハネの黙示録 7章1節~4節より
「この後、わたしは四人の御使が地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。また、もうひとりの御使が生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、『わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない』。わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった。」
「原理講論」 再臨論 P.582〜583
「黙示録七章4節に、イエスが再臨されるとき、イスラエルの子孫のあらゆる部族の中から、一番先に救いの印を押される者が、十四万四千人であると記録されているみ言、また弟子たちがイスラエルの町々を回り終わらないうちに人の子が来るであろう(マタイ一〇・23)と言われたみ言、そしてまたイエスのみ言を聞いている人々の中で、人の子がその王権をもってこられるのを、生き残って見る者がいる(マタイ一六・28)と言われたみ言などを根拠として、イエスがユダヤ民族の内に再臨されるのだと信じている信徒たちが随分多い。しかしそれらはみな、神の根本摂理を知らないために、そのように考えるのである。
マタイ福音書二一章33節から43節によると、イエスはぶどう園の主人と農夫およびその息子と僕の例えをもって、自分を殺害する民族には再臨されないばかりでなく、その民族にゆだねた遺業までも奪いとって、彼の再臨のために実を結ぶ他の国と民族にそれを与えると、明らかに言われたのである。この比喩において、主人は神を、ぶどう園は神の遺業を、また農夫はこの遺業をゆだねられたイスラエルの選民を、そして僕は預言者を、主人の息子はイエスを、その実を結ぶ異邦人は、再臨されるイエスを迎えて神のみ旨を成就することができる他のある国の民を、各々意味するのである。」