2013年10月13日礼拝
説教:「精誠の基台」 説教者:松藤俊之教会長
み言訓読:「至誠完天家和万事成」より抜粋
精誠というものがあります。精誠とは何でしょうか。どのようにすることが精誠なのでしょうか。精誠とは特別なことではありません。同じことを千回、万回、心を込めて反復しながら、自分が喜ぶと同時に、世界までも喜ぶように影響を与えようとすることです。 (二三四―二八五、一九九二・八・二七)
精誠というものは、千回、万回繰り返すことです。専門的な技術者になるためには、その分野で千回、万回、億万回、何度も繰り返さなければなりません。繰り返すところに最高の権威が生じるのです。愛する世界で専門家になり、愛の最高の技術者にならなければなりません。 (二七八―一一三、一九九六・五・一)
神様の恨と、イエス様の恨と、歴史的な人類の恨を解くために、私たち自らが祭物の立場に立ち、あらゆる精誠を尽くし、あらゆる愛をすべて注いでこの国を愛さなければなりません。一つの命に対しても、父母の心情をもって僕の体を用い、涙と血と汗を流して精誠を尽くさなければなりません。そのようにすれば絶対に滅びません。そのような人は、行けば行くほど栄え、行けば行くほど主体者として登場するのです。そのような人には、天運が共にあります。このようなことは、先生が実験してみて、経験を通して間違いないと悟った事実なので、皆さんにはっきりと教えてあげるのです。先生の言うとおりに実践してみてください。 (三八―二九三、一九七一・一・八)
精誠の基台は、相対のためのものだけが残ることができます。その相対の大きさによって、精誠を尽くした実績や、結べる因縁の大きさが決定されます。ですから、皆さんは、自分を中心とするところではなく、必ず相対のために生きるところにおいて精誠の要件が成立し、「精誠」という名詞が成立するということを、肝に銘じなければなりません。 (一七―二二七、一九六七・一・二九)
今後、真なる息 子、娘が尽くすべき精誠とは何でしょうか。現実的な生活舞台における精誠ではなく、希望の精誠、栄光の精誠、忠誠の精誠、侍る精誠を尽くさなければなりません。そのような精誠を残していってこそ、天国が私の天国になり、その父が私の父になるのです。今までの精誠は、蕩減する途上での精誠でしたが、これからの精誠は、天に侍るための精誠でなければならず、侍る場に同参するための精誠でなければなりません。 (一七―二四五、一九六七・一・二九)