2013年10月20日礼拝
説教 : 「祝福」と「責任」と「蕩減」
説教者:松藤俊之 教会長
み言訓読:自叙伝「平和を愛する世界人として」より
1958年、甲寺(忠清南道の鶏龍山にある)の裏山に崔奉春を呼んで、私は言いました。「おまえは、今すぐ玄界灘を渡っていかなければならない。勝利するまで戻ってくることはできない」
彼は少しもためらわずに、「はい!」と答え、「召されて出で立つこの身はゆくぞ。……」という統一教会の聖歌を歌いながら、意気揚々と山を下りていきました。日本に行って生活はどうしたらいいか、宣教はどうやって始めたらいいかと尋ねることもしませんでした。崔奉春はそのように豪胆な男でした。
当時は日本とまだ国交がなかったので、密航するしかありませんでした。密航は国法を破ることでしたが、日本宣教はかならずやらなければならないことでした。したがって、何があろうと困難はすべて耐え忍ぶしかなかったのです。
崔奉春は決死の覚悟で密航船に乗り込みました。私は、彼が無事に海を渡ったと知らせてくるまで、他のことは一切せず、小さな部屋に籠って座り、ひたすら祈り続けました。何も食べず、寝ることもしませんでした。彼を送り出すのに必要な資金50万圜は、借金をして充てました。満足にご飯を食べられない信徒が大勢いる中で、大金を借りてでも彼を送ったのは、それだけ日本宣教が急を要することだったからです。