2014年8月3日礼拝
説教:「未開の地を天国に」
説教者:松藤俊之教会長
み言葉訓読:『平和を愛する世界人として』より (P324-)
パラグアイの国土の60%を占めるチャコ地方は、長い間捨てられた地でした。海の底が隆起して陸地になったチャコ地方は、今でも土に多くの塩分が含まれています。私は七十歳を過ぎてからパラグアイに入っていきました。長い間捨てられた地で生きてきた彼らの生活は、言葉では表現できないほど疲弊していました。彼らを見つめる私の心がどれほど痛んだか、とても言い表すことができませんでした。私は心から彼らを助けたいと思ったのですが、彼らは、顔の色が違い、言葉が違う私を受け入れようとはしませんでした。しかし、私はその程度で放棄しませんでした。
三ヶ月間、パラグアイ川に沿って歩き回り、そこの人たちと一緒に食べ、一緒に眠りました。皆が不可能だと言っていたことに、七十歳を超えた私が飛び込んだのです。彼らは誰も釣りをすることができませんでした。私が魚を釣り上げるのを見た彼らは、不思議に思ってそばに集まってきました。私は彼らに釣りの方法を教えてあげ、彼らは自分たちの言葉を教えてくれました。そのようにして、三ヶ月間一緒に船に乗りながら、私たちは互いに親しくなりました。
彼らが心を開くと、私は世界が一つにならなければならない理由を繰り返し語りました。最初、彼らは反応があまりありませんでした。しかし、チャコ地方の人たちは、年と共に少しずつ変わっていきました。そのようにして十年が過ぎると、熱い心で「グローバル・ピース・フェスティバル」を開くぐらいに変わったのです。
パラグアイ川は海のように深くて広い川です。私は、パラグアイ川に船を出して魚を釣りました。やることがなく飢えていたチャコ地方の人たちは、魚を釣って、生計を維持できるようになるでしょう。魚をたくさん釣ると、そのまま腐って捨てるほどになっていたので、川辺に冷凍倉庫を建てました。フィッシュ・パウダーを作る工場も造れます。船に乗るのが怖い人たちは、冷凍工場で魚を貯蔵し、販売する仕事をしています。彼らは、これ以上餓えによって絶望したり、つらい思いをしたりすることがなくなるでしょう。
しかし、食べる問題だけが解決したからといって、すぐに平和が訪れてくるのではありません。飢えが解決した後には、平和と愛に関する教育が必要です。私はジャルジンやチャコのような地域に学校を建てています。最初、住民は子供たちを学校に送らずに牛の世話をさせていました。「牛と友達になって遊ぶのもよいが、学校教育を受けなければ発展できない」と粘り強く説得した結果、今では学生がたくさん増えました。牧場がうまくできるようになれば、簡単な技術を利用して物を作る軽工業の工場を造ってあげられるし、学生たちは工場で働こうと、一生懸命に学校に通うようになるでしょう。
全世界の餓えて死んでいく人たちは私たち全員の責任です。ですから、私たちが出ていって彼らを救わなければなりません。明確な責任感を持って、彼らを食べさせ、助けなければなりません。裕福な人は少し低い所に下りていき、貧しい人は少し上げてあげ、すべての人が等しく豊かに暮らす世界をつくらなければならないのです。