2014年11月9日礼拝
説教:「天の摂理と私」
説教者:山本文登教区長
み言葉訓読:『天一国経典天聖経』より (P987-)
第九篇 第二章 第三節 氏族的メシヤの使命
父母様の写真を掲げ、統一教会の旗さえ掲げれば、それで天の国の一族になるのです。天の国の一族にしてあげようというのです。それで、旗を掲げたことを批判して、罰を受けた人がいます。本当に不思議です。先生に対して後ろ指をさした人の手が病気になり、幾晩も祈って悔い改めて、ようやく治るということが起こるのです。なぜでしょうか。天運が訪ねてくるのですから、個人の運勢で防ぐことはできません。宿命的な道です。変えることはできません。
モーセが杖を持っているとき、それを仰ぎ見た人は、すべて生き残りました。統一教会の旗を見つめて、出掛けるたびに敬拝し、帰ってくるたびに敬拝し、真の父母様の写真を見ながら、出掛けるたびに敬拝し、帰ってくるたびに敬拝すれば、生きるというのです。
統一教会の旗を掲げるのは、「通り過ぎる統一教会の教会員は、おなかがすいていればここに入ってきて、お昼どきなら昼食でも食べていき、休んでいきなさい」という表示です。そのため、いつもお客さんをもてなす準備をしなければならないというのです。父母様を身代わりしてそのような準備をしなければなりません。ですから、部屋もなければなりません。父母様に侍ることによって救いを得るのですが、父母様が来られないので、父母様の代わりにお客さんに侍ろうというのです。この思想は、天の最高の基準に平準化思想を連結させるためのものです。そのような意味で、お客さんを神様のように、父母様のように侍りなさいというのです。そのような人は福を受けます。